ほらほらほらほら

ポケモンGO (ゴー) の功罪」について

<ポケモンGO>北海道で122人補導

これは毎日新聞8月2日(火)18時16分配信の数字だ。

北海道警少年課は2日、スマートフォン向けゲーム 「ポケモンGO(ゴー)」 の国内配信が始まった7月22~31日の10日間で、深夜から未明にかけて外でアプリを使っていた12~18歳の中高校生122人を補導したと発表した。 「アプリが深夜外出のきっかけとなっており、子どもが犯罪に巻き込まれるおそれもある」 と注意を呼びかけている。

これまでのところ道内で少年の犯罪被害は確認されていないが、少年課は 「誘い出されたり恐喝されたりといった事態や、プレー中に危険な場所に立ち入ってしまう可能性もある。夏休み期間中なので、巡回を強化したい」 と説明した。【安達恒太郎】

犯罪被害がなかったというが、交通事故や他人の家に侵入するなどという事件もこれからふえるに違いない。



そんな中、広島平和記念公園の 『ポケモンGO』 スポット削除で 「平和」 とは何か考えさせられたという見出しで、ふじいりょう | ブロガー/ライター/ネットメディア編集者 2016年8月6日 11時6分配信 の記事が載った。

『ポケモンGO』 は 「平和の象徴」なのでは?」 と主張している。どうやら広島市が平和記念公園内の原爆ドームや慰霊碑など30カ所の 「ポケストップ」 「ジム」 の削除を要請、ナイアンティックはそれに応じたことが不満らしい。


また、
・広島の原爆慰霊碑もポケストップに 市が削除申し入れ (朝日新聞デジタル)
・ポケモンGO設定、全削除 広島・平和記念公園  (共同通信 47NEWS)

この話を聞いた率直な感想として何だか悲しい気持ちにさせられたという。 その理由として 『ポケットモンスター』 の世界は、ポケモンと人間が 「助けあっている」 世界で 『ポケモンマスター』 になることでポケモンも人間も成長していく、というストーリーになっている。だから、ポケモンをモンスターボールで捕まえるのは 「対話」 であり、その後彼らと旅をすることで 『ポケモンマスター』 = 人間もさまざまなことを学んでいく、というのがストーリーの根底にある。このようなコンテンツが生まれたことは、日本が成熟された平和な社会であることの証左でもあるように、個人的には思える。  


上記の朝日新聞の記事によると 『ポケモンGO』 のスポットの削除を依頼した理由として 「慰霊・鎮魂のための聖域としての静けさや雰囲気を失わせる」 ということのほか、慰霊碑周辺にゲーム目的の人が多数集まっている状況について 「参拝者や観光客が近寄りがたい状況」 だとしていたという。逆にいうと、慰霊目的以外の来場者を拒んでいるとも取れる。 「平和」 の名のもと、排除の論理が働いていることに強烈な違和感を覚えるのは筆者だけだろうかといっている。さらに、そのような 「記憶」 と 「記録」 を仮想現実 (AR) に残すことによって、単にゲームを楽しむだけでなく、そこで何が起きたのか、どんな人々がいたのか、そういったことも内在されているということを、広島市が考慮できなかったということが筆者としては残念だ。

この朝日新聞の記者も、一々何がどうだからという理由は、相手が記事を書ける大人だから書かないが、大人としての自覚や常識が足りない偏った思想の持ち主だと感じた。 


今後もこのように独りよがりな考えでポケモンGOで遊ぶ人がふえるのだろうかと不安だ。絶対、事故や思いがけないトラブルが起きるに違いない。どんなに理由づけをしようと 「ポケモンGOはおもちゃでしょう」 と思っている私にはこの主張が理解できない。 

ポケモンGOを楽しんでいる人たちは、みんなこういう思想を持っているのだろうか。そこが非常に心配だ。   もっと謙虚な気持ちで遊んだらどうかと思う。

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  • 大騒動のお台場

    Excerpt: 「ほらほらほらほら」について Weblog: 小野口純子 racked: 2016-09-19 23:17