また裁判員裁判の1審判決破棄

被害女子学生、判決聞き絶句」について

大阪高裁、市民感覚取り入れた裁判員裁判の1審判決破棄

神戸市長田区で2014年、小学1年の女児 (当時6歳) が殺害された事件で、大阪高裁 (樋口裕晃裁判長) は10日、殺人やわいせつ目的誘拐などの罪に問われた無職、君野康弘被告 (50) を求刑通り死刑とした裁判員裁判の1審・神戸地裁判決を破棄し、無期懲役をいい渡した。プロの裁判官による大阪高裁判決は、市民感覚を取り入れた死刑判断を覆した。  


最高裁は15年2月、いずれの控訴審判決も支持。市民が加わった裁判員裁判であっても 「究極の刑罰」 の死刑適用には過去の量刑判断とのバランスに配慮するよう求めた。

最高裁は1983年の決定で 「永山基準」 と呼ばれる死刑の適用基準を示した。被害者1人の場合は死刑が回避される傾向にあるとされるが、事件の性格は千差万別で司法判断が分かれている。

神戸女児殺害事件の神戸地裁判決は、最高裁決定が重視した殺害の計画性の有無にかかわらず、生命軽視の姿勢が著しい場合は死刑選択が十分許容されるとの判断を示した。検察関係者は 「市民の目線を反映させるのが裁判員制度の趣旨ではなかったのか」 と語る。

一方、甲南大法科大学院の園田寿教授 (刑法) は 「裁判員裁判は遺族の処罰感情を重視し、厳罰化しやすい。国家が生命を奪う死刑は、先例との公平性の観点から特に慎重になるべきだ」 と話した。 


いつも思ったり書いたりしているが、1人殺そうが、10人殺そうが、人の命を奪ったことに軽重はない。先例がないとか、○○人殺害したから死刑で、1人しか殺していないから死刑にはしないなどおかしい。30年以上も前の事件を 「永山基準」 などとしていまだに適用しているなど本当におかしい。犯罪の仕方も年々残虐になっている。先例など関係がないと私は思う。 


甲南大法科大学院の園田寿教授も非常におかしい。 「国家が生命を奪う死刑は、先例との公平性の観点から特に慎重になるべきだ」 という以前に、人を殺めた者の命を国費で延々と営ませるというのが納得できない。 

不注意から誤って死なせてしまったというのとはわけが違う。残虐な意思を持って人を殺した者に 「国家が生命を奪う……」 などの考え方を持っている法学者は恐ろしい。私は幸い被害者の立場になったことはないが、遺族はどれほど悔しく悲しい思いをしているか考えたことはあるのだろうか。 

死刑はよくないなどときれいごとをいっている学者も人たちも、自分がその立場になったらどうなのか頭を冷やして考えてみてほしい。
  

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