しつけの意味

虐待事件、手口が次々に」について

しつけと称して子どもや動物に対する虐待が頻発している昨今、しつけの概念を私は間違っているのだろうかと不安になり、調べてみた。 

自分の子どもを、まるで大昔の軍隊のように立たせて眠らせない、疲れて座り込むとまた暴力を振るって無理やり立たせる、あるいは両手を縛って水風呂に入れるなどの 「しつけ」 と称する虐待が頻発している。さらには、老齢の犬の散歩中にいきなりわき腹を蹴りつける動画も拡散した。 


しつけとは、教育することといいかえてもよいが、教育一般よりも生活全般に根差した、更に根源的な事柄にまつわる部分を教えていく行為を指す。特に言葉が理解できない幼児の教育に関しては、様々な態度で接することで 「やってよいこと(=誉められる)」 「やってはいけないこと(=罰せられる)」 の区別をつけさせることでもある。

伝統的なしつけの手法では、罰の中に体罰を含むこともあるため、近年ではその体罰をもって 「児童虐待ではないか ? 」 とする問題提起もなされている。もちろん、しつけの中には体罰によらない方法もあり、きちんとできたら褒めるなどして、行動をより積極的に行わせるようにする様式も見られる。罰するにしても、口頭で叱るという様式もしつけには含まれる。

しつけをすることは、自由に伸び伸びと育てる (または放任してしまう) ことの対極にあると考えられている。一定の厳しさをもって育てていくことを含んでおり、体罰を科す場合も見られ、これらが児童虐待に発展する事例も見受けられることもあるため、しつけ行為そのものが児童虐待だと考える向きもある。

しかし、いずれしつけがなければ人間としての道徳規範にも関わるとの考え方もあるため、児童教育におけるしつけは、社会的な道徳観念やマナーが不足しているとして、その重要性を再認識する人も存在する。


ただしあらゆる面で力の弱い子供の側からすれば 「しつけ」 と称した親からの一方的な理不尽な扱いへの抗弁が難しいため、行使には極めて慎重さを要するともいえる。威圧的な態度や子供のいい分を聞かないしつけでは、子供は表面上はそれに従いながらも、内心ではその理不尽さに反発する傾向もあり、特にしつける側が道義的に見て正しくなかったり、あるいは明らかに他の道徳などと矛盾する内容のしつけは、子供当人にとって混乱するか内心反発して鬱憤を溜めるかのどちらかである。このため、少なくとも公正で 「他のルール」 に反せず一貫性を持つことが多くの育児書で薦められている。


「しつけ」 と混同し、自分の感情に身を任せた虐待や暴力をする親や教師も存在している。ニュースなどでたびたび報じられている児童虐待事件では、逮捕された加害者が 「しつけだった」 として容疑を否認しているが、これら加害事件では、理由がどうであるかではなく行為によって罪が問われているため、実際こういった抗弁は意味をなさない。


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