野生のナガコガネグモの日常 平成19年 後書き
「「野生のナガコガネグモの日常 平成19年 思いがけない結末」について
私が愛したナガコガネグモが非業の死を遂げた。形見に1本の足を残して彼女は私の前から永遠に姿を消した。

12月8日
午前11時
巣に残された1本の足を保存しようとしてピンセットでつまんだ。糸にしっかり絡みついていて、なかなか取れない。足が折れてしまうかと思い少しピンセットを持つ手の力を抜いた途端に、足は糸からいとも簡単に外れて地面に落ちてしまった。
周りの糸を切り離せばよかったとか、手でつかめばよかったとか、後悔したが後の祭りだ。下の枯れ草を取り除いたときに落ちた足が見つかるだろうか。
残された1本の足をついに素手で触れなかった。生存中も、一度もその体に触れられなかった。多分、クモも私に触れられることを好まなかったであろう。しかし、いなくなった今、その大事な形見を、私は怖気づかないで丁寧に素手で回収すればよかったと後悔した。
この年の10月に、やっと名前がナガコガネグモと判明した。いろいろなドラマを見せてくれた私の愛したナガコガネグモは、その子孫をもってその後も私にいろいろな感激の瞬間を与えてくれた。ありがとう
私が愛したナガコガネグモが非業の死を遂げた。形見に1本の足を残して彼女は私の前から永遠に姿を消した。


12月8日
午前11時
巣に残された1本の足を保存しようとしてピンセットでつまんだ。糸にしっかり絡みついていて、なかなか取れない。足が折れてしまうかと思い少しピンセットを持つ手の力を抜いた途端に、足は糸からいとも簡単に外れて地面に落ちてしまった。
周りの糸を切り離せばよかったとか、手でつかめばよかったとか、後悔したが後の祭りだ。下の枯れ草を取り除いたときに落ちた足が見つかるだろうか。
残された1本の足をついに素手で触れなかった。生存中も、一度もその体に触れられなかった。多分、クモも私に触れられることを好まなかったであろう。しかし、いなくなった今、その大事な形見を、私は怖気づかないで丁寧に素手で回収すればよかったと後悔した。
この年の10月に、やっと名前がナガコガネグモと判明した。いろいろなドラマを見せてくれた私の愛したナガコガネグモは、その子孫をもってその後も私にいろいろな感激の瞬間を与えてくれた。ありがとう


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