黙って見ているのか 

安楽死 本人が望むなら」について

4月、サークルの新役員への引き継ぎの席で、同じテーブルに着いた女性5人と話をする機会があった。

お決まりの、最期はピンピンコロリが理想だという話から 「救急車を呼ぶと、いや応なしに人工呼吸器が取りつけられるから、植物人間になっても生き続けなければならない。それだけは嫌。だから救急車を呼ぶのは考えものだ」 と、全員同じ考え方だった。

ある人は、電話のところに 「救急車は呼ばないで」 と張り紙をしておかなければだめねといった。

また、ある人は、夫に 「救急車は絶対呼ばないで」 と頼んだら、「黙って見ているのか」 といわれたという。非常に重い問いかけだ。その状況を想像しただけで涙が出てくる。

そばで苦しんでいる人を黙って見ているのは確かにつらい。夫婦、親子等、肉親であればなおさらだ。日中はともかく深夜などは自家用車やタクシーで病院に行っても受け付けてもらえないことが多い。その意味では救急車の存在意義は大きい。人工呼吸器を取りつけられるのは嫌だが、苦痛は取り除いてほしい。


そこで 「人工呼吸器装着は拒否カード」 のようなものが制度化されたらよいと思う。数枚用意して、電話のそばに張りつけて救急車を呼ぶときに持参してもらうとか、常に本人が携帯していることができたらどんなによいことか。 「臓器提供意思表示カード」 があるのだから、不可能ではないと思う。

何が何でも生かしておくことが最善という時代ではない。少々ボケても自分のことは自分でできて、かつ多少でも楽しい時間が実感できなければ、生きているかいがない。ぜひ 「人工呼吸器装着は拒否カード」 (仮称) を導入してほしいものだ。

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